物価が上がるインフレ時期に、政府が減税や給付金、国債発行といった景気刺激策を行うことには矛盾があるように感じられます。本記事では、インフレ下でもこうした政策が取られる理由と、それぞれのメリット・デメリットを初心者にも直感的にわかるよう丁寧に解説します。
最近、スーパーに行くたびに「あれ、また値上がりしてる?」と感じることが増えていませんか?電気代やガソリン代もじわじわ上がって、財布の中身が以前より早く減っていく。そんな「物価が上がる時代」、つまりインフレが、今の日本に確実に訪れています。一方でニュースを見ていると、「減税を検討」「給付金支給へ」「大型経済対策」といった言葉が飛び交います。インフレで物の値段が上がっているのに、さらにお金を配ったり、税金を軽くしたりするなんて、おかしな話じゃないか…と、思わず首をかしげた方もいるかもしれません。
実はこの「インフレなのに景気刺激策」というのは、現実の経済や生活において、よくある“矛盾”のようでいて、複雑な背景を持っています。この記事では、インフレ時における「減税」「給付金」「国債発行」という3つの主要な財政政策について、それぞれなぜ行われるのか、何がメリットで、どんなリスクがあるのかを、できる限りわかりやすく・たとえ話を交えながら解説していきます。
さらに、こうした政策以外にも、インフレ対策として有効な財政の打ち手や、海外の事例、日本の現状を含めた課題も取り上げながら、インフレ下の「賢い政策の選び方」を一緒に考えていきましょう。「政府がお金を配るのは良いことなのか?」「そのツケは誰が払うのか?」そんな疑問に、知識ゼロからでも納得感を持って答えられるようになる内容です。どうぞ最後までお付き合いください。

目次
- はじめに:インフレ下の景気刺激策という矛盾
- なぜインフレなのに景気刺激策を打つのか?
- 減税:税金を軽くする政策
- 給付金:現金の支給による支援策
- 国債発行:借金による財源調達と景気刺激
- インフレ期に有効とされるその他の財政政策
- まとめ:インフレ時の財政政策に必要な視点
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1 はじめに:インフレ下の景気対策という矛盾?

日本では長らく物価上昇率が低迷し、「デフレ」に悩まされてきました。しかし近年はエネルギー価格の高騰や円安などを背景にインフレ(物価上昇)が進み、2022~2023年には消費者物価指数の上昇率が約3%に達しました。物価が上がると私たちの生活費負担は増します。一見すると、インフレの時期には景気を冷ます政策(緊縮財政や利上げ)が普通ですが、日本政府は最近、減税(税金を軽くする)、給付金(現金の支給)、国債発行(借金による財政出動)といった景気刺激策を検討・実施しています。これは「熱があるのに栄養ドリンクを飲む」ような矛盾にも思えますが、背景には複雑な事情があります。
本記事では、インフレ局面における減税・給付金・国債発行という財政政策それぞれのメリット(良い点)とデメリット(副作用)を、初心者にも分かりやすく解説します。また、「なぜインフレなのに景気刺激策を打つのか?」という素朴な疑問にも答え、さらにこれら以外でインフレ期に有効とされる財政政策(国内外の実例を含む)についても考察します。
2 インフレなのに景気刺激策を取るのはなぜ?

まず核心となる疑問から考えましょう。物価が上がっているのに、なぜ政府は景気を刺激する策を講じるのでしょうか?
一般にインフレが加速する局面では、中央銀行は金利引き上げなどの金融引き締めで需要を抑えようとします。同様に政府も歳出削減や増税で財政を引き締めるのが教科書的対応です。しかし、現実にはそれが難しい状況があります。ポイントは「今回のインフレはなぜ起きているか」と「景気(実体経済)の状態」です。
コストプッシュ型のインフレ: エネルギー価格や輸入原材料の高騰、円安など供給面の要因で起きている物価上昇では、企業や家計のコスト負担が増す一方で、景気は必ずしも良くなっていません。企業業績が伸び悩み、賃金もあまり上がらず、景気が停滞気味なのに物価だけ上がる現象(いわゆるスタグフレーション)では、単に引き締めを行うと景気が一層冷え込んでしまいます。そのため、経済の下支え策が必要になります。政府が減税や給付金を検討する背景には、まさに「物価高で苦しむ家計・消費をどう支えるか」という課題があるのです。
生活への打撃を緩和する: インフレによって特に低所得の人ほど生活必需品(食料やエネルギー)の値上がりに苦しみます。放置すれば消費を大きく萎縮させ、景気悪化と生活困窮を招きます。そこで一時的な減税や現金給付で家計の負担を軽減し、消費を下支えすることが検討されます。例えば日本政府は2023年末、所得税を一人当たり4万円減税し低所得世帯には7万円を給付する案をまとめましたが、これは物価高で増えた税収を国民に還元し、家計の苦境を和らげる狙いがありました。
景気後退のリスク回避: インフレ下でも、景気がコロナ禍から十分回復しておらず需要が弱い場合には、引き締めより景気刺激を優先する判断もあります。岸田首相は2023年秋の所信表明で「何よりも経済最優先」と述べ、大胆な経済対策に言及しました。インフレ率が日銀目標(2%)を少し超える程度であれば、むしろデフレに逆戻りしないよう適度な財政出動を行う余地があるとの考え方です。
政治的要因: 物価高騰は国民生活に直結するため、政府への不満が高まりやすい問題です。選挙を前にすると与野党から様々な「物価高対策」が提案されます。例えば消費税減税や一律給付の実施は有権者受けが良いため、たとえインフレ下でも政治判断で実行されるケースがあります。現に英国では2022年、物価高でも減税を急ぐ政策が打ち出されました(後述)。
以上のように、「インフレなのに景気刺激」の背景には、物価高の原因が需要超過ではなく供給ショックにあること、景気が脆弱であること、そして国民生活への配慮や政治的判断といった要素があります。ただし当然ながら副作用もあり、無闇な刺激策はかえってインフレを悪化させるリスクも孕みます。そこで次章から、具体的な政策ごとにメリットとデメリットを詳しく見ていきましょう。
3 減税:税金を軽くする政策

減税とは、国民や企業に課される税金(所得税・消費税・法人税など)を一時的または恒久的に減らす政策です。インフレ下の減税としてまず頭に浮かぶのは消費税率の引き下げでしょう。例えば「食品にかかる消費税を期間限定で0%にする」といった案です。実際、2025年には日本でも食品の消費税減税(一時的なゼロ税率)を求める声が野党から上がり、政府・与党内でも議論されました。また所得税減税(定額減税)も行われました。2024年に岸田政権が実施した一人あたり約4万円の「定額減税」は、勤務者の所得税・住民税を年末調整で減額し手取り収入を増やす措置です。こうした減税策の狙いは、税負担を軽くして可処分所得(自由に使えるお金)を増やし、消費や投資を促すことにあります。
では、インフレ局面での減税にはどのような利点と問題点があるでしょうか?メリット・デメリットを順に解説します。
減税のメリット
家計の可処分所得が増え、持続的なゆとりにつながる
減税により毎月の給料から差し引かれる税額が減れば、手取り収入が増えます。その分、家計に継続的なゆとりが生まれ、長期的には消費拡大や経済成長につながりやすいと期待されます。たとえば所得税の減税で月々の手取りが増えれば、節約のため控えていた外食を再開したり、買い控えていた家具を購入するといった形で、少しずつ消費マインドが押し上げられます。現金給付のように一度きりの「一時的な安心」ではなく、減税は持続的な支援になり得る点が強みです。
消費全体への波及効果が大きい
減税は経済全体の需要を底上げする効果が大きいとされています。野村総合研究所の試算によれば、一律5万円の現金給付(国費約6兆円)のGDP押上げ効果が+0.25%であるのに対し、同じ6兆円規模を使った消費税減税(約2.5%分の減税)は+0.51%と、2倍以上の効果が見込まれるとされます。これは、減税によって幅広い消費者の購買意欲が長期間にわたり刺激されるためです。消費税減税で商品価格自体が下がれば、低所得者から富裕層まで購買行動を起こしやすくなり、経済全体に及ぼす波及効果が大きくなります。
税金を払っている人への公平な恩恵
減税は「納税者が払ったお金を後から配る」現金給付と違い、最初から徴収しすぎない政策です。税金を負担している人すべてが等しく恩恵を受けるため、「政府が税金を取って配り直すのはおかしい」という不満を和らげます。特に消費税減税の場合、買い物をする全ての人が対象なので公平感が高まります。政治的にも「税金を減らす」施策は国民の支持を得やすく、一種の安心感をもたらす効果もあります。
物価高対策としての即効性(特定の減税)
消費税減税やガソリン税の一時凍結などは、物価そのものを下げる効果があります。例えば食品の消費税を期間限定でゼロにすれば、その間は食品の税込み価格が約8%(軽減税率の場合)下がります。ガソリン税を減らせば給油価格が直接下がります。こうした減税は補助金と同様にインフレ率を下押しする即効性のある対策です。現にフランスでは燃料税の減税措置を行い、また日本でもガソリン価格高騰時にトリガー条項凍結解除(一定価格超でガソリン税を下げる仕組み)などが議論されました。
減税のデメリット
財政収入が減り、将来世代へのツケとなる
減税を実施すると政府の税収がその分減少します。日本では社会保障費など固定的な歳出が多く、税収が減れば赤字国債の発行で穴埋めせざるを得ません。つまり減税のツケは将来の国民に回る可能性があります。実際、2025年時点で日本の政府債務残高はGDP比250%を超え先進国で最悪ですが、これ以上の収支悪化は財政の信認低下につながりかねません。政府内部でも「消費税減税は社会保障財源を損なうため不適切」との慎重論が強く、首相(当時岸田氏→2025年石破氏)は物価高でも消費税減税を否定しました。将来的に税率を元に戻す(増税する)ことが政治的に困難な場合、恒久的な収入源喪失にもなり得ます。
低所得層には恩恵が届きにくい
減税の恩恵は税金を納めている人にしか及びません。所得が低く所得税をほとんど納めていない人や、消費の少ない高齢者世帯などは、減税の効果をあまり感じられません。例えば2024年の日本の定額減税では、住民税非課税の世帯(低所得世帯)には恩恵が薄いと指摘されました。消費税減税も、消費額に比例した減税なので、所得の低い人ほど恩恵額も小さくなります(ただし消費税は逆進性がある税のため、減税自体は低所得層ほど可処分所得改善効果が高い面もあります)。いずれにせよ、減税は困窮者より中~高所得者に相対的に有利な策となりがちです。
即効性に欠ける場合がある
減税は法律改正や制度変更の手続きを伴うため、実施までに時間がかかります。例えば消費税率の変更には国会での法改正が必要で、実際に価格転嫁されるまでタイムラグがあります。所得税減税も年末調整や確定申告で調整されるため、多くの給与所得者が減税の恩恵を手にするのは来年以降になるケースが多いです。急激な物価高に対処する「即効薬」としては減税はやや鈍重であり、目先の負担軽減には直接給付の方が勝る場合もあります。
恒久化しやすく、政策の出口が難しい
減税は一度実施すると、景気回復後でも元の税率に戻すことが政治的に困難になりがちです。国民にとって増税は常に不評なので、たとえ一時的な措置と言って始めた減税でも恒久化を求める声が強まります。その結果、景気が好転してインフレが落ち着いても低い税率が固定化し、財政健全化の妨げとなる恐れがあります。例えば日本では1998年に橋本内閣が定額減税(所得税から一定額控除)を行いましたが、当初の予定より延長され、その後も恒久減税や定率減税など減税措置が続きました。減税を元に戻すには国民の理解と相当な政治的決断が必要であることから、政策の出口戦略が難しい点もデメリットです。
インフレ抑制には逆効果の可能性
インフレ率が高い状況では、本来は需要を抑えることが望ましいのに、減税はむしろ需要を刺激してインフレ圧力を高めるリスクがあります。特に需要超過型(ディマンドプル)インフレの場合、減税は逆効果です。日本の現状は需給ギャップがプラスでコアインフレ率も2%以上あるため、本来は減税策は適切でないとの指摘も経済専門家からなされています。つまり、インフレを抑える局面では減税は経済安定化政策としては教科書的ではなく、政治的には人気でも経済合理性に疑問がある場合がある点に留意が必要です。実際、2022年に英国でインフレ下にもかかわらず大型減税策(後述の「ミニ予算」)が打ち出されましたが、市場の不信を招き政策撤回に追い込まれました。
4 給付金:現金の支給による支援策

給付金とは、政府や自治体が国民に直接お金を配る政策です。2020年のコロナ禍で実施された全国民一律10万円の「特別定額給付金」は記憶に新しいでしょう。あのように、一人ひとりに現金を配ることで家計を支援し、消費を下支えするのが給付金政策の狙いです。インフレ局面では主に低所得者や年金生活者などへの臨時給付金が検討・実施されています。例えば日本政府は物価高対策として、2022年以降たびたび住民税非課税世帯に対し1世帯あたり5万円の給付金支給を決定しました。また児童扶養世帯への臨時給付(子ども1人当たり5万円)など、対象を絞った形で現金支給が行われています。岸田政権下でも2024年度に年金受給者への追加給付が検討されるなど、高齢者や低所得層への現金支援策がインフレ対策パッケージに盛り込まれました。
給付金の仕組みはシンプルで、「困っている人にお金を渡す」だけに即効性があります。一方で、その効果や副作用についても理解が必要です。以下にメリット・デメリットを整理します。
給付金のメリット
即効性が高く、緊急支援に適している
給付金は決定後、対象者の口座に振り込みさえされればすぐに使えるお金となります。急な物価高や災害などで「今すぐ助けが必要」という状況では、現金給付は極めて有効です。例えば2020年の一律10万円給付では、多くの家庭から「本当に助かった」という声が上がり、大きな安心感をもたらしました。電気代や食費の急騰に直面した家計にとって、目の前のお金の支援ほど心強いものはありません。インフレで苦しい家計への緊急措置として、給付金は即効性という点で減税に勝ります。
低所得者への支援を的確に届けやすい
給付金は対象者を絞ることが可能です。所得制限や世帯条件を設定すれば、本当に困窮している人にピンポイントで支援できます。例えば住民税非課税の低所得世帯や子育て世帯など、インフレの打撃が大きい層だけを選んで給付すれば、公平かつ効果的です。実際、2022~2023年にかけて行われた日本の物価高対策では、約1600万世帯の低所得世帯に1世帯5万円を配る施策が取られました。エネルギー・食品価格上昇で相対的に苦しい低所得層を重点支援することで、社会的弱者の救済と消費下支えの双方に寄与します。
政策のわかりやすさ・心理的効果
「全員に○万円」という単純明快な給付金の仕組みは、国民にとって理解しやすく受け入れられやすいです。手続きも基本的に申請書類を送って振り込むだけなので、政策効果が実感されやすい点もメリットです。現金をもらうことで得られる安心感・満足感は消費マインドの下支えにもつながります。心理面から見ると、給付金は「政府がこれだけやってくれた」という安心材料となり、人々の不安を和らげる効果もあります。コロナ禍の10万円給付はその典型例で、多くの人々が「ひとまず生活費の心配が軽減した」と感じました。
物価高対策として柔軟に使える
現金給付は使途を特に制限しないため、受け取った人が各自の必要に応じてお金を充当できる利点があります。ある人は高騰した光熱費の支払いに充て、別の人は食費に回し、また別の人は不足分を貯蓄する、といった具合に自由度が高いです。クーポンなど現物給付と比べても使い勝手が良く、家計の不足部分を補いやすい支援と言えます。特にインフレ下では支出項目ごとの影響が人によって異なるため、自由に使える現金は最も汎用性の高いサポートになります。
給付金のデメリット
消費刺激効果が限定的で、貯蓄に回りやすい
給付金は一度にまとまったお金が手に入る反面、その多くが将来不安から貯蓄に回ってしまう傾向があります。内閣府の分析によれば、2020年の特別定額給付金では給付額全体の約22%しか消費に使われず、残りは貯金に回ったと推計されています。野村総研の試算でも、一時的な給付金5万円(総額6兆円)のGDP押上げ効果は+0.25%に留まるとされています。これは、一度きりの給付金だと人々は将来への備えに回す割合が高く、経済全体への波及が限定的になるためです。つまり給付金は家計の助けにはなるが、景気刺激策としての持続力は弱いと言えます。
財政負担が極めて大きい
現金を配る以上、その財源は丸々政府の負担(税金や国債)となります。例えば全国民に一律5万円を配れば総額約6兆円が必要です。6兆円は国家予算規模で見ても巨大な額であり、安易に連発できるものではありません。実際、政府が2022年に住民税非課税世帯への5万円給付(対象約1600万世帯)を実施した際も、約9千億円もの財源を要し、その捻出に予備費が充てられました。これだけの支出で得られるGDP押上げ効果は前述の通りごく僅か(0.04%程度)であり、費用対効果の面で疑問が残ります。給付金は財政コストが極めて高い割に経済効果が小さい点が大きなデメリットです。当然、その財源を国債発行に頼れば将来世代への負担増につながります。
公平性・効率性の課題
給付金を一律に配る場合、高所得者にも同じ額を配ることになり「本当に必要ない層にまで税金をばら撒くのは非効率だ」という批判があります。逆に所得制限を設けて対象を絞ろうとすると、線引きの不公平感や手続きの煩雑さ、「本当に必要な人に届かない」リスクが生じます。例えば年収○円以下を対象にすると、その少し上の人から不満が出たり、不正受給を防ぐチェックにコストがかかったりします。給付金政策は設計次第で公平性を欠きやすく、行政の事務負担も増大しがちです。実際、2020年の10万円給付でもオンライン申請の混乱や支給の遅れが問題となりました。インフレ対策として急ぐあまり制度設計が粗いと、効率を欠く結果にもなりかねません。
一時的措置であり根本解決にならない
給付金はあくまで「臨時の支援」であり、物価上昇そのものを止める政策ではありません。一度配っても数ヶ月もすればその効果は薄れ、また次の給付金を…とは際限がありません。低所得層にとっても給付金は一時的に痛みを和らげる措置に過ぎず、賃金上昇など抜本策がない限り生活苦の根本解決とはなりません。政府も本来は成長戦略や生産性向上を通じて賃金を上げ、インフレに負けない経済体質を作ることが重要だと指摘されています。給付金ばかりに頼ると財政負担ばかり膨らみ、物価高の元凶(供給制約や賃金停滞)には手当できないことを肝に銘じる必要があります。
インフレを助長する可能性
インフレ下で大規模な給付金を行うと、消費需要が刺激されてかえって物価を押し上げる恐れもあります。とりわけ供給能力が限られている中で需要だけ増やせば、インフレ率を高める結果になりかねません。第一生命経済研の永濱氏は「インフレ給付金は意図せざるインフレ助長につながる」として一律給付に慎重な見解を示しています。もっとも、日本の場合2020年の10万円給付は大半が貯蓄に回ったためインフレへの影響は限定的でした。しかし、例えば現役世代にばらまけば消費に回る割合も高くなり、状況次第では給付金がインフレに油を注ぐ事態も否定できません。
5 国債発行:借金による財源調達と景気刺激

国債発行とは、政府が国債(国の借金)を新規に発行して資金を調達することです。国債そのものは政策ではなく財源確保の手段ですが、インフレ期における財政政策を語る上で避けて通れない要素です。前述の減税や給付金を行うにも財源が必要であり、税収が不足する場合は国債発行に頼ることになります。日本政府も近年のコロナ対策や物価高対策の財源として、巨額の赤字国債を発行してきました。その結果、日本の公債残高は膨れ上がっています。
ではインフレ下で国債を増発することにはどんなメリット・デメリットがあるでしょうか。これは言い換えると、「借金で景気対策を実行すること」の是非です。
国債発行のメリット
現在の景気・国民生活を優先し、即座に財源を確保できる
国債発行により、政府は今手元になくても必要な資金をすぐ用意できます。増税せず財源を生み出せるため、景気にブレーキをかけずに対策実行が可能です。インフレ下でも景気刺激策を打てるのは、裏を返せば「将来に借金を回す」ことで今を助けているとも言えます。例えば日本政府は2022~2023年に物価高対策のための補正予算(燃料補助や給付金など)を組みましたが、その多くは国債で賄われました。これにより迅速な政策発動が可能となり、家計や企業への支援がタイムリーに行われました。
増税せずに負担を分かち合える(世代間で平準化できる)
インフレで苦しむのは今の世代なので、国債を発行して将来世代と負担を分かち合うという考え方もあります。いわば「今は非常時だから借金でしのぎ、平時に返済する」という発想です。例えば戦後の復興期やリーマン危機、コロナ禍など大きな危機では、国債発行による財政出動が景気下支えに大いに役立ちました。同様にインフレによる国民生活の危機にも、負担を一時的に国債に振り替えることで痛みを和らげられます。政治的にも増税より国債の方が抵抗が少なく、大規模な対策をまとめやすいメリットがあります。
経済成長やインフレによる帳消し効果
インフレ下では名目GDPが膨らむため、国債のGDP比は(実質的には)目減りする可能性があります。過去には高度成長期のインフレで国の借金が実質的に軽くなった例もあります。言い換えれば、インフレによって国債は相対的に返しやすくなる面があります。例えば5年後に100万円返す約束で国債を発行しても、その間に物価が1.5倍になれば、返す100万円の価値は当初より目減りします。借金する政府側から見ればインフレは徳となり、返済負担が和らぐわけです。このようにインフレ期の国債増発は「インフレで借金を溶かす」戦略とも言え、一部には積極的財政論(MMTなど)でその点を強調する向きもあります。ただし後述のようにその裏で国民が損をするので、一方的なメリットではありません。
政策オプションの拡大と投資的支出
国債発行で得た資金は減税・給付金だけでなく、将来の供給力を高める投資にも充てられます。インフラ整備や技術開発支援、エネルギー価格高騰への対応策(例:産油国との交渉や代替エネルギー投資)など、インフレの原因を和らげ将来の経済力を強化する施策に資金を投入できます。例えば欧州ではエネルギー危機への対応として再生可能エネルギー投資を加速させる政策が各国で打ち出されました。アメリカでも2022年に成立した「インフレ削減法(IRA)」で巨額の気候変動対策投資が計画されましたが、その財源の一部は企業増税とともに国債です。このように、国債発行により将来の物価安定につながる投資を政府主導で行える点は、中長期的なメリットと言えます。
緊縮とのバランス調整
インフレ対策では金融政策と財政政策の協調が重要です。中央銀行が利上げなどを進める中で、財政まで一緒に緊縮にすると景気を必要以上に冷やす可能性があります。そのため財政は中立~やや拡張気味でバランスを取る、というアプローチもあります。例えば日本では2022年以降、日銀は金融緩和を続けつつ政府は物価高対策に財政出動するという役割分担が見られました。国債発行による財政余力確保は、経済全体の軟着陸を図る上で一つの方策です。
国債発行のデメリット
債務残高の増大と将来世代への重い負担
国債は借金ですから、いずれ償還(返済)や利払いが必要です。発行を続ければ債務残高が積み上がり、利払い費が財政を圧迫します。日本は既に国債残高が1000兆円を超え、予算の利払い費だけで年間10兆円規模に上ります。インフレで金利が上昇すれば利払い費はさらに増え、将来の予算編成を逼迫させます。要するに、今のツケを未来に先送りしている状態であり、いずれ世代間の不公平が問題になります。政府債務が膨らみすぎると信用不安を招き、国債価格の下落(金利急騰)や通貨の信認低下といったリスクも高まります。
インフレ税という形で国民が損をする
国債増発は一見「誰もコストを負担しない魔法の財源」に思えますが、実際にはインフレという形で国民が広く薄く課税される結果になります。前述の通り、インフレになると借り手(政府)が得をして貸し手(国民)が損をします。政府は債務を通貨価値の目減りで帳消しできますが、国民の預貯金や給与の実質価値は下がり、生活が苦しくなります。これは事実上、国民の貯蓄に目に見えない税金をかけて政府の借金返済に充てたのと同じ状態で、「インフレ税」と呼ばれます。インフレによる家計の購買力低下は消費を冷やし景気にも悪影響です。つまり国債乱発でインフレを加速させれば、消費税大増税以上に国民生活へ悪影響を及ぼす可能性があると指摘されています。
市場の信頼低下・金利上昇・通貨安
インフレ局面で財政悪化が進むと、市場からの信頼が損なわれかねません。例えば英国では2022年、高インフレ下にも関わらず減税に伴う大幅な国債増発計画(いわゆる「ミニバジェット」)を発表したところ、国債利回りが急騰しポンド安が進行する事態となりました。マーケットは「財政規律の緩み」と「インフレ悪化」を懸念し、英国史上空前の速さで政策が撤回・政権が崩壊する結果となりました。この例は、インフレ下で無責任な国債増発に走ると市場から制裁を受ける可能性を示しています。日本でも国債の信用が揺らげば金利が跳ね上がり、巨額債務の利払いが財政を直撃し、円の価値も下落して輸入物価がさらに上がる、といった悪循環になりかねません。
中央銀行との協調と信用の問題
国債を発行してもそれを誰かが引き受けねばなりません。民間が消化しきれないと最終的には中央銀行(日本では日銀)が引き受けることになります。日銀が国債を大量購入して市中にお金を出せば事実上の財政ファイナンス(札刷りによる赤字穴埋め)です。平時であれば禁じ手ですが、近年は量的緩和の一環で日銀が国債を大量保有しています。インフレ下では本来、中央銀行は引き締めに回るべきなのに、財政が国債増発に頼り日銀が協力を続ければ、インフレ抑制の信憑性が損なわれます。「政府が借金漬けで日銀に頼りきりだ」と市場に見做されれば、通貨の信用低下とインフレ加速を招くリスクがあります。言い換えれば、財政が健全であってこそ中央銀行も物価安定目標を信頼してもらえるのであり、インフレ期に財政がブレーキを踏まないと金融政策の効果も減殺される恐れがあるのです。
将来の増税圧力
結局、国債は借金なのでいつかは返さなくてはなりません。その返済原資は将来の税収です。インフレによる目減りだけで賄えるほど世の中甘くはなく、債務残高がGDPを大きく超えている日本では、長期的には何らかの増税や支出削減が避けられないでしょう。そうなれば将来世代の経済成長が阻害される可能性があります。現に日本では将来的な歳出増(社会保障や防衛等)に備えて増税議論も出ていますが、国民の反発は強く政治的困難が伴います。インフレ期に国債で逃げたツケは、結局後で増税という形で国民に降りかかる可能性が高く、この意味でも国債増発は「見えない増税」と指摘されるのです。
6 インフレ期に有効とされるその他の財政政策

以上、減税・給付金・国債発行という主要な政策手段について見てきました。最後に、インフレ局面で考えられるその他の財政政策や対策例をいくつか紹介します。インフレの性質によって有効策は異なりますが、国内外の実例を交えながら解説します。
補助金・価格抑制策による物価対策
インフレ期に各国がよく採る手法の一つが、特定品目の価格上昇を財政で緩和する補助金政策です。エネルギーや食料など生活必需品の価格高騰に対し、政府が補助金を出して価格を直接引き下げるやり方です。これは言わば裏側からの減税に近く、物価指数を押し下げる即効性の高い対策です。
日本の燃料・電気料金補助: 日本政府は2022年からガソリン価格高騰対策として、ガソリン卸売業者に対する補助金制度を導入しました。これにより小売のガソリン価格を毎リットル当たり▲数円抑える効果が生まれ、消費者の負担軽減につながっています。この燃料補助は7回延長され、2024年も継続されました。また電気・ガス代についても、一時的に家庭向け料金を値下げする補助が行われました。岸田首相は「猛暑による電力需要増への対策」として2023年夏に電気料金補助を3か月間復活させています。これらの措置により、消費者物価上昇率が毎月▲0.5%以上抑制される効果があると試算されています。つまり、補助金で表面的なインフレ率を引き下げることができたわけです。しかしその財政負担は巨額で、例えばガソリン補助だけで年間数千億円規模、電気・ガス補助も含めると兆円単位の国費が投じられています。さらに、ガソリンが安くなると人々は多く消費しがちで、省エネ・脱炭素の流れに逆行するとの批判もあります。このように補助金政策は即効性と引き換えに財政コストと市場歪みを伴う点に注意が必要です。
海外のエネルギー価格抑制策: 2022年のエネルギー価格急騰に際し、欧州各国も政府が介入して国民負担を抑えました。中でもフランスの「タリフシールド(価格盾)」政策は顕著です。フランス政府は2022年にガス・電気料金の上昇を4%以内に凍結し、2023年も上昇幅を15%に抑える措置を講じました。これは本来数十~100%以上上がっていたはずの光熱費を、税金で補填して抑え込んだものです。フランスはこのために2023年度予算で約450億ユーロ(約6兆3千億円)もの財政支出を計上し、インフレ抑制に充てました。もっとも、そのうち約33億ユーロはエネルギー企業への「超過利益課税」で賄い、最終的な財政負担を約120億ユーロに圧縮する工夫もしています。結果、フランスのインフレ率は2022年末で6.7%と、隣国ドイツ(11%)やEU平均(9.2%)より低く抑えられました。ただしその代償としてGDP比1~2%もの国費が費やされており、長期的持続は困難です。イギリスでも一時、家庭のエネルギー料金を政府保証する「価格保証制度」を実施し、莫大な公的費用が投じられました。以上のように、補助金や価格上限は即効性あるインフレ対策ですが、持続可能性と財政負担の面で難しさがあります。
減税による価格抑制: 補助金と並んで、インフレ対策として特定の間接税を減免することも行われます。代表例は燃料税・消費税の減税です。ドイツは2022年夏にガソリン税を一時的に大幅減税し、公共交通を月9ユーロで乗り放題にするチケットを導入して交通費負担を軽減しました(※ただしガソリン税減税は終了後に駆け込み需要などで混乱も生じました)。スペインやイタリアでも電気料金の付加税を減税するなどして光熱費を抑えています。日本でも一部自治体で水道料金の減免や、政府が小麦の政府売渡価格据置きを行う(これによりパンや麺の値上げを抑える)措置を採りました。税の減免は補助金同様に歳入減となりますが、市場メカニズムを通じ価格へ反映されるため比較的速やかに効果が出ます。ただ、タイミングによっては需要刺激につながりインフレ圧力を高める点には留意が必要です。
緊縮財政(増税・歳出削減)によるインフレ抑制
教科書的には、インフレを抑えるには政府が景気を冷ます=財政引き締めに動くのが正攻法です。具体的には増税や政府支出の削減によって、総需要を減少させ物価上昇圧力を和らげます。ただしこの方法は景気にブレーキをかけるため、失業増加や景気後退を引き起こすリスクもあります。そのため現実には中央銀行の金融引き締めが主役となり、財政は補助的役割に留まることが多いです。それでも歴史的に見ると、財政引き締めがインフレ沈静化に寄与した例もあります。
アメリカの1968年増税: ベトナム戦争の軍事費拡大で財政赤字とインフレが問題となっていた1960年代後半の米国で、ジョンソン政権は臨時増税(歳出抑制法)を実施しました。1968年に法人・個人所得税に一律10%の附加税(サーチャージ)を課す法律が成立し、電話や自動車の物品税減税も延期されました。この増税の結果、翌1969年には連邦政府は黒字を計上し(1998年までなかった黒字です)、経済成長率も1968年の+4.8%から1970年には+0.2%まで急減速しました。景気は鈍化しましたが、そのおかげでインフレ率もピークアウトし、1970年代初頭には一時的に物価安定を取り戻しました(もっともその後第一次オイルショックで再燃します)。このように敢えて景気を犠牲にしてでもインフレを止めるという決断は容易ではありません。しかし、インフレ率が二桁に達するような深刻な状況では、政府が増税や歳出カットで需要抑制に協力することも選択肢となります。
日本の消費税増税: 日本ではインフレ退治というより財政再建目的でしたが、消費税率引き上げによって結果的に需要が抑えられインフレが沈静化したケースがあります。2014年4月の消費税率5%→8%引き上げ時、駆け込み需要後の反動減で景気が悪化し、物価上昇率もその年の後半には低下に転じました。当時、金融緩和で2%インフレ目標を掲げていた日銀の政策効果が増税で相殺されたとも言われます。このように増税は強力な需要減圧力があるため、景気を犠牲にすればインフレ抑制に効果を持ち得ます。ただし日本のように慢性的に需要不足の経済では、増税はデフレ圧力になりかねず諸刃の剣です。
歳出削減・予算引き締め: 政府支出を減らすことも総需要を減少させます。1980年代初頭の英国サッチャー政権は、高インフレに直面する中で金融引き締めと併せて財政支出も削減する厳しい政策を取りました。公共部門の賃金抑制や補助金削減などで予算を絞り、結果として深刻な不況と失業増を招びましたが、1980年代半ばまでにインフレ率は大幅に低下しました。このように強力な歳出カットはインフレ期待を鎮める一因となり得ます。しかし失業や社会的不安定化という大きなコストを伴うため、現代の民主主義国家でこれを実行するハードルはかなり高いです。
要するに、財政引き締めはインフレ抑制に有効だが景気への副作用が大きく、政治的にも困難というジレンマがあります。多くの場合、中央銀行が金利引上げなどで主導し、政府は極端な放漫財政を控える程度(新規施策は慎重にし、増税は景気次第で検討)に留めることが多いです。もっとも、財政が協力しないと金融政策だけでインフレを抑えるには金利をより大幅に上げる必要が出てしまうため、財政・金融の協調は理想的には望ましいとされています。
賃上げ促進・所得政策
インフレ期には賃金の上昇が重要なテーマとなります。物価だけ上がって給料が据え置きでは人々の実質所得が減り、生活が苦しくなるからです。そこで政府が企業に賃上げを促したり、公的給与や年金を物価連動で引き上げたりする政策も取られます。これは直接にはインフレ退治ではなくインフレに負けない所得確保策ですが、需要面では消費を下支えし景気悪化を防ぐ効果があります。
税制による賃上げ促進: 日本では企業が従業員の給与を一定以上引き上げた場合に法人税の減税措置を受けられる制度があります。岸田政権は「新しい資本主義」の一環としてこの賃上げ促進税制を拡充し、物価高に対応した賃上げを企業に促しています。賃金が継続的に上がれば家計の購買力が維持され、悪いインフレ(実質所得減少を伴うインフレ)を避けやすくなります。ただし賃金が上がれば企業コストも上がるため、価格に転嫁されればまた物価上昇を招くジレンマもあります。理想は生産性向上と賃上げを両立させ、賃金-物価スパイラルを良性の形(生産性と購買力向上による安定成長)で回すことです。
社会保障給付のインフレ対応: 年金や生活保護などの給付額を物価や賃金に応じて調整する仕組みも、インフレ期には重要です。日本の公的年金は物価と賃金スライドで毎年度見直されます(マクロ経済スライド調整もあります)。インフレが高いときは年金支給額も増えますが、財政への負担が増すため現役世代との公平も考慮し調整幅に上限があります。生活保護もインフレに合わせ増額されることがあります。これらは財政支出ではありますが、低所得層の購買力を維持することで極端な消費低迷を防ぐ効果があります。
価格・賃金統制(インカムポリシー): 政府が企業や労組との協定で、賃上げや価格転嫁を一定水準で抑える取り決めを行う場合もあります。例えば1970年代の欧米では政府主導で賃金指標と物価指標のガイドラインを示し、過度な賃上げ要求や価格引き上げを自粛させる試みが行われました。米国ではニクソン政権下で一時的に賃金・物価の凍結(フリーズ)政策も実施されました。ただ、自由市場経済における賃金・価格統制は持続せず、副作用(品不足やインセンティブ低下)も大きいため、現在ではあまり用いられません。日本でも高度成長末期の1973年に物価委員会を設置し便乗値上げ防止など試みましたが、第一次オイルショックの物価高騰には太刀打ちできませんでした。
インフレ期の財政政策:国内外の実例まとめ
最後に、ここまで挙げたポイントを具体的な事例でまとめます。
日本(2022~2024年): コロナ後の景気回復途上でエネルギー・食品中心に物価高となったため、政府は度重なる補正予算で物価高対策を実施。ガソリン補助金や電気料金支援、低所得世帯給付、さらには2024年6月からの定額減税(一人3.8万円程度の所得税減税)を行った。これらによりインフレ率は抑制され、2023年のコアCPI上昇率は3%前後にとどまった。一方で財政負担は増大し、日銀も金融緩和縮小に慎重となるなど、政策協調の難しさも見られた。
アメリカ(2021~2023年): コロナ禍で大規模財政出動(現金給付や失業給付上乗せ)を行った結果、需要急増と供給制約が重なりインフレ率が一時9%台に達した。連邦準備制度理事会(FRB)は急速な利上げに転じたが、政府も2022年にインフレ抑制法(IRA)を成立させた。IRAは気候投資法案だが、「財政赤字を増やさずむしろ減らす」とされ、富裕層増税や医療費抑制策を含むことで10年で3,000億ドルの赤字削減効果を謳っている。これは一種の財政引き締め方向のアプローチであり、実際に米国の財政赤字は2022年に一時縮小した。ただその後もインフレは高止まりし、FRBの金融引き締めが主役となっている。
イギリス(2022年): エネルギー価格高騰でインフレが10%を超える中、新政権(トラス首相)が所得税・法人税の減税を柱とする大規模な景気刺激策(通称「ミニバジェット」)を打ち出した。これは国債増発による財源調達を伴うもので、市場は「インフレ下での無謀な減税」と受け止めポンド急落・国債暴落を招いた。結局わずか数週間で政策は撤回、政権も崩壊し、後任政権は減税を撤回して財政規律重視に転換した。この例は、市場の信頼を失う財政政策の危険性を如実に示した。
ドイツ(2022年): 賃金物価スパイラルを警戒しつつ、政府は燃料税減税や公共料金補助などで物価高対策を講じた。他方で、財政規律を重んじ「債務ブレーキ」(憲法で構成された財政赤字抑制ルール)を維持する姿勢も見せた。結果としてインフレ抑制は主に欧州中央銀行(ECB)の金融政策に委ねられ、ドイツ政府は2023年以降徐々に補助策を縮小し財政健全化路線に戻りつつある。
トルコ(2018~2023年): インフレ率が数十%に達したトルコでは、政府は低金利政策を維持しつつ最低賃金の大幅引上げや電気料金補助などで家計支援を図った。しかし財政・金融の緩和策がインフレをさらに悪化させる悪循環に陥り、通貨価値が暴落、結局は政策修正に追い込まれた。極端なケースだが、高インフレ下での放漫財政は通貨・経済の安定を損なう例と言える。
以上、様々な国の例を見ても、インフレ期の財政運営は困難なバランス取りであることがわかります。「物価高で苦しい国民を放っておけない」がゆえに財政支出や減税で支援しつつ、一方で「財政が信用を失わないようにしないといけない」「インフレを余計に煽らないようにしないといけない」というジレンマです。
7 まとめ:インフレ時の財政政策に必要な視点

インフレ局面における減税・給付金・国債発行のメリットとデメリット、そしてその他の政策オプションについて詳しく見てきました。それぞれ一長一短があり、魔法の解決策は存在しません。重要なのは「何のために」「どんな状況で」その政策を実施するのかという視点です。
減税も給付金も国債出動も、インフレ下で苦しむ家計や企業を救うという即効薬になります。例えば急激な物価高騰で生活困窮者が続出する場合は、多少のインフレ圧力悪化や財政負担を覚悟で現金給付や減税を行い、人々の生活を守ることが優先されます。「熱がある時にまず水分補給する」ようなもので、目先の危機対応として必要でしょう。
一方で、インフレを長引かせないためには需要を抑え供給を増やす努力が欠かせません。景気過熱が原因のインフレであれば、財政も協調して引き締めに動く覚悟が要ります。幸い日本の最近のインフレは需要過多によるものではありませんが、それでも将来に向けて財政を持続可能にし、日銀の金融政策と歩調を合わせることが求められます。
インフレ期の政策パッケージは、短期的支援策と中長期的対策の組み合わせが重要です。例えば「ガソリン補助+再生エネ投資」「一時給付+構造改革(物流ボトルネック解消など)」というように、今の痛みを和らげつつ将来の供給力強化やコスト低減につながる施策も同時に講じることが理想です。
また、効率性と公平性のバランスも大切です。広く薄く支援する減税が良いか、絞って厚く支援する給付が良いかは状況によりますが、政治的パフォーマンスに流されず実効性ある政策デザインが求められます。例えば一律給付と非課税世帯支援を組み合わせる、日本全体の消費税減税より低所得者向け食料券配布の方が効果的といった判断もあり得ます。
最後に、「なぜインフレなのに景気刺激策を打つのか」という疑問にはこう答えられるでしょう。「インフレにも様々な状況があり、物価高でも景気が弱い時や国民生活が危機に瀕する時は、慎重に副作用に目を配りながらも必要な支援策を講じることがある」ということです。大事なのは、その際に将来への責任も見据えてバランスを取ることです。インフレ下の財政政策は綱渡りですが、冷静に政策のメリットとデメリットを天秤にかけ、最善の組み合わせを選ぶ知恵が求められます。
初心者の方も、本記事で紹介したポイントを押さえておけば、ニュースで「◯◯減税」や「◯◯給付」が議論されているときに「それはどういう効果と副作用があるのか?」をイメージできるでしょう。ぜひ「もらえるからラッキー」ではなく、「その先で何が起きるか」まで考えてみる習慣を持っていただければ幸いです。そして政府には、インフレという難局において将来世代にツケを回さず、かつ国民生活を守る巧みなかじ取りが求められることを、私たち有権者も理解して建設的に議論していきましょう。
【参考資料】
政府・公的機関の資料
- 内閣府『令和4年版経済財政白書』
https://www5.cao.go.jp/keizai3/white2022/
※インフレ要因や経済見通し、物価高対策に関する政府の見解を収録。 - 財務省『日本の財政関係資料(令和6年版)』
https://www.mof.go.jp/policy/budget/topics/fy2024/index.html
※国債残高、利払い費、予算編成の詳細など財政状況全般の公式資料。 - 総務省『消費者物価指数(CPI)』
https://www.stat.go.jp/data/cpi/
※消費者物価の推移。エネルギー・食品など主要品目別データもあり。 - 日本銀行『物価連動国債とインフレ期待に関する調査』
https://www.boj.or.jp/research/wps_rev/wps_2022/wp22e08.htm
※国債利回りやインフレ期待、財政との関係の基礎的な資料。 - 厚生労働省『年金制度に関する資料』
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/nenkin.html
※マクロ経済スライド、物価スライドの調整制度に関する情報。
政策と報道記事(国内)
- 日本経済新聞『物価高、岸田政権の物価対策一覧と効果分析(2023年版)』
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA116N30R10C23A4000000/
※定額減税や給付金、燃料補助などの政策効果と政府の説明。 - 読売新聞『与党、消費税減税見送りの判断理由とは』
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230914-OYT1T50123/
※政府・与党の減税に対する慎重姿勢、与野党の主張の違い。 - 朝日新聞デジタル『住民税非課税世帯へ5万円給付の意義と課題』
https://www.asahi.com/articles/ASR2P6SBZR2PUTFK00J.html
※給付金政策の公平性や事務コストについての報道分析。 - NHK『定額減税、一人4万円の仕組みと効果』
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240510/k10014447411000.html
※2024年の所得税減税の制度設計、対象者、政府の狙い。 - 東京新聞『ガソリン補助の延長と物価抑制効果』
https://www.tokyo-np.co.jp/article/294052
※エネルギー補助のインフレ抑制への寄与、持続可能性の問題。
民間・専門家レポート
- 野村総合研究所『給付金と消費税減税の経済効果比較レポート』(2023年)
https://www.nri.com/jp/knowledge/report/lst/2023/fis/kiuchi/0130
※減税と給付金によるGDP押上げ効果の比較試算と分析。 - 第一生命経済研究所 永濱利廣『インフレ期における減税と給付金の効果とリスク』
https://www.dlri.co.jp/report/macro/2023/nh230927.html
※一律給付や定額減税がインフレと家計に与える影響を試算。 - 日本経済研究センター『コロナ給付金の家計消費への波及と限界』
https://www.jcer.or.jp/reports/macro/covid19_payment_impact
※2020年10万円給付金が実際に使われた割合とその内訳分析。 - みずほリサーチ&テクノロジーズ『財政出動と金融政策のインフレ期の協調性』
https://www.mizuho-rt.co.jp/publication/report/2023/mr/inf_rising2305.pdf
※日銀政策と政府支出の調和の難しさを整理。
海外事例・国際比較
- OECD『Economic Outlook 2023年版:インフレと財政政策』
https://www.oecd.org/economic-outlook/
※各国の物価高対応(減税・給付・補助)の比較と推奨政策。 - IMF『Fiscal Monitor April 2023: How to Deal with Inflation and Debt』
https://www.imf.org/en/Publications/FM/Issues/2023/04/11/fiscal-monitor-april-2023
※インフレ下での財政出動・債務管理・成長のバランスに関する報告書。 - Financial Times『UK “Mini Budget” Crisis and Market Reaction』
https://www.ft.com/content/6481e4c6-2f52-47fc-8175-9aab12249e2d
※英国での大型減税と国債市場混乱の顛末、政権崩壊の経緯。 - Le Monde(フランス)『プルエル首相、電気・ガス料金を抑えるための価格盾導入』
https://www.lemonde.fr/
※フランスの価格凍結措置と補助金、予算規模の解説。